内藤裕敬より—漂流記—について

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人生は漂流なんだよ!」と語る内藤裕敬


 

人生は度々、旅に例えられますが、昨今、地震や津波、台風による河川の氾濫、土砂崩れ、そして原発事故と、突然の出来事で家を屋敷を失い、仕事を失い、故郷を失い、嵐の世間に投げ出される現実を目の当たりにすれば、これを漂流に例える方が実感を伴うと思うのです。

人生は漂流。
自分の半生を振り返れば、予定通りに進んだ計画は、ほとんど無く、偶然の出会いが、私の人生を大きく左右してきました。
これまで、ずっとです。
おそらく誰もがそうであるはずです。
考えてみれば、人生が漂流であるなんて当然と言えば当然。
今更、取り立てて芝居のモチーフにすることもないかも知れません。

実際、海での漂流者のほとんどが三日間生存できないそうです。
それでも生きのびて、奇跡の生還をはたす人がいます。
それは、何にしがみついて漂流していたかが生・死の分かれ目となります。
だとすれば、人生の漂流も、何にしがみつくかで、流れ着く先は変わってしまうでしょう。
私は、何にしがみついて漂流すべきなのか、私の現在は、何について流れ着いたのか?
ここは芝居になりそうだぞ!これが「漂流記」出発点です。

主人公は、人生を漂流中の浪人生・猿田。
就職経験無しのフリーター・サラ。
勤続17年の会社を突然解雇された失業者・プーちゃん。
まさに漂流真っ只中の世間で、謎の女・さんちゃんとの出会いが、漂流から生還する為の筏探しへと続いて行く。
生身では溺れて海の底へと沈むしかない私達は、人生の漂流で一体何にしがみつくべきなのか…?
それを探す物語です。

内藤裕敬


 

今回出演の劇団員&スペシャル勇者達