「デタラメカニズム」記者発表レポート

先日、演劇記者さんに多数お集まりいただき、劇団いちびり一家+南河内万歳一座☆「デタラメカニズム」の記者発表会を行いました。
南河内万歳一座座長の内藤裕敬と劇団いちびり一家の代表 阪上洋光が、あんなコトやこんなコトを大いに語りました。

内藤裕敬 : いちびり一家とは僕の大学の恩師である秋浜悟史教授つながりです。
僕が秋浜先生の弟子ならば、劇団いちびり一家は弟弟子。僕が卒業して数年後に大学に入った阪上洋光君、三穂眞理子さん、石本由宇さんの三人が秋浜教授の指導を受けられていたんです。阪上くんは大学院まで行き、劇団を旗揚げして今に至っています。
我々のルーツは一緒。お互いの公演は観に行っていますし、秋浜先生が最初から関わっておられた、滋賀の知的障がい者支援施設あざみもみじのお芝居を協力して上演して来ました。
非常に近しい間柄で、お互いにやっている事を理解し、評価し会いながらここまでやって来ました。今回の合同公演に関して違和感はありません。とても楽しみです。
同じ師匠の下で勉強してきたことが、この舞台でミックスされます。
阪上君はミュージカル出身。歌と踊りが良く入る。そのノウハウをもらって、いつもの万歳の芝居にもう少し幅を増やそうというのが、今回の試みですね。
作品のタイトルは「デタラメカニズム」。
デタラメだけで一本芝居を創りたいと思っています。
そもそも、学生時代からリアリズムに胡散臭さを感じていました。それが劇団活動で爆発して現在に至っています。
リアリズムの幅の狭さと息苦しさは性に合わない。しかしながら、リアリズム演劇にはそれなりに奥行きも有り、それに取り組んでおられる方の作品がつまらないとも思わないけど、僕は違和感がある。
リアリズムという手法を取るのではなくて、リアリティを担保しながらどこまで世界観を広げられるかという試みが、劇表現にとって大切だと考えます。
そう意味で、とてもデタラメな話だが、どこかにリアリティは担保されているという作品を追求する事によって新しい演劇がつくれるのではないでしょうか。
「劇的」とは、舞台上で成立し得る大インチキの事だと言って来ました。
大学でそれを言うと学生に理解されません。なので最近では言葉を変えて、多様な創造力を喚起する虚構の事だと言っています。
現実的でリアルな所にそれがあるのではなく、とんでもない虚構の中に、その多用な創造力を喚起する要素があるならば、多分それがいちばん開発し甲斐のある「劇的」なんじゃないのかなと僕は思っています。
ここに来て、歳が歳で、開き直ってきて、デタラメをやる事に年々抵抗が無くなって来ています。
阪上くんも、劇団いちびり一家もデタラメなんで、一緒にデタラメをやらかそう!というのが今回の合同公演の出発点ですね。

あらすじですか…
ある旧家に、その家を守っていた主人が亡くなられ半年が経ったところから始まります。
そこに、その家の長女だと名乗る家族と、長男だと名乗る家族がやって来て、借金まみれのその屋敷の中から、記憶に残る金庫を持ち帰ろうとするのですが、その金庫はどうしても開かない金庫で、中を観る事ができない。
何とか金庫を開けようと、その家の関係者のアドバイスを元に、みんながデタラメをやらされてしまうというハナシです。
しかしまあ、これではリアリティが担保できないので、騒動の中に守らねばいけないもの、守るべきものが見え隠れする。
今回のモチーフである「金庫」。それ自体は中身のわからない謎めいた物体。にもかかわらず、誰もがその中身に期待して、覗いてみないと気が済まない!そんな気にさせる魅力的なモチーフですね。
それは何となく、人の心の中に似ているなと思うのです。人間という個々という金庫の中には、人には見せない、人には語らない何かが、鍵をかけて入って、なかには、墓場まで持って行くつもりのものもいくつか入っている。そういう人の心は、他人からするとどうしても覗き見たいというか、何を胸に抱えているか知りたいという衝動を抑えきれない。
金庫が何かの暗喩になって展開出来れば、人の心とかなんだかのリアリティは担保できるだろう。
もう一つは、大学で若い人と関わっているからだと思うのですが、今の若い人を見ていて、自分が若かった頃を思い出します。授業中、ポカーンと「何でここに居るんだろう!」みたいな顔している奴がいます。自分で入って来たんだろう!と思うのですが、入ったものの「何でこんなことをやっているのか!」と思っているのでしょうね。
学生時代、僕はそんな風には思わなかったのですが、卒業してから劇団活動の傍ら、バイトしながら「何でこんなことをやっているのかな!」とは思ったなぁと思い出しました。
就職しても、入って3年くらいで転職する人も多い。入るまでは必死だが、入ってみたら、こんな仕事をするために勉強してきた訳ではないと思い…、人生変えたいと思い悩む。
そう思い、職を転じたり、歩いていく方向を変えたりしながら進んで行く訳だけど、
自分の人生を変えたいと思う事は2度や3度ではないでしょう。
良い職にありついて所得が倍になっても、金で生活が変わるだけで、人生そのものが変わるのか。意外にもそれでも飽き足らず、何か違和感を感じて、どうして俺はここに居るのだろうと思うのではないでしょうか。
人生は変えるモノでもなくて、変えられるモノでもない。人生は守るものだと思うのです。
自分の中に抱えていて、自分の中の守らなければならない何者かがあって、それがここにいては守れないと思うと、やっぱり何か変わりたいと思うのではないでしょうか。
守らないといけないものは、長く生きて行けば増えます。 それを守って行こうとすることで人生は変わるのではないでしょうか。

合同公演ということですが、基本的にはいつも通り僕のやりたいようにやっています。
そして、自分が困ったことを他の奴に振ると、僕と違ったものが出て来て、ハナシが膨らむ事がよくあります。今回は、放り出したい様々を阪上君にやってもらおう!と思っています。
もちろん放り出したいもの代表が「歌と踊り」ですね。今年大阪芸術大学の特別公演で、歌と踊りを交えて井上ひさしさんの「十一ぴきのネコ」をやったのですが大変でした。
音楽はいちびり一家でやっている藤森暖生さんのオリジナルを3曲ほど。歌詞は僕が書きます。実は歌詞は結構書いているんですよ。作曲もそうです。台本を執筆しているときに適当に歌っている鼻歌を、藤田辰也が曲にしてくれたものも多いのです。BGMはやはり藤田辰也のストックから使用します。ダンスの振り付けは、いちびり一家で振り付け担当の橋之爪梨絵さんがやってくれます。デタラメな創作ダンスをリクエストしています。僕も含めて全員で踊りますよ(笑)。

阪上洋光 : 歌もダンスも、いちびり一家では普通にやっている事なので、当たり前すぎて、適当に本番までに完成させようと胡麻化してやる事も多いのですが、万歳一座の皆さんは、苦手意識からスタートするのでとても熱心です。今日出来なかったことが、明日には出来るようにしようと必死に繰り返して踊る。難しい振り付け、早い動きが、確実に上達していくのです。放課後のクラブ活動のようで、爽やかな汗が飛び散り、改めて感動しました。
また皆さん、いちびりのメンバーの事を褒めてくれて、みんな凄く楽しそうなのです。 稽古中、あんなに楽しそうなメンバーの顔を始めて見たように思います。
いちびり一家は4人の内、阪上、三穂、石本の3人が大阪芸大で、吉井が宝塚北高校で秋浜悟史先生の下で勉強しました。宝塚北高校の吉井の10学年下が、今回どちらの劇団にも所属していない和田亞弓さんです。
関西の劇団との繋がりはほとんど無いのですが、南河内万歳一座さんだけはとても良くして頂いていることもあり、劇団員同士も仲良くさせて頂いています。
内藤さんの話をすると長くなりますが…
学生時代、秋浜先生が南河内万歳一座の話をする時だけは嬉しそうなのが、とても不思議でした。先生、何故なんですかって思っていましたし、自分なりに何故なのかを解明しようと思い、内藤さんに近付いていくうちに、やはりその魅力にはまっていきました。
先生が亡くなって、付いていく人が無くなり、内藤さんと歩調を合わせる事が多くなり、 憧れの内藤さんみたいになれない自分を責めた事もありました。どうしたら面白い稽古が出来るのか。どうしたら、広がりのある美しい作品が作れるのだろうか。
それが40歳を超え、あるきっかけで、そうならなくて良いんだ。自分は自分で良いんだと気付き、力が抜けて、少し楽になりました。今回こんな形で一緒にお芝居がやれ、自分の劇団を客観視できる事が信じられないほどラッキーですし、人生って面白いなぁと思います。
「デタラメカニズム」とは、まさに秋浜先生と内藤さんを表すに相応しいタイトルです。
絶対開かない金庫。絶対ワカラナイ手の内。けど面白い、だから覗いてみたくなる!

南河内万歳一座の作品の中でいちばん好きな作品ですか。
どの作品にも思い入れが強く、選べないですね。
ストーリーとは関係のない、転換のシーンで震えて泣いていたり、藤田辰也さんの曲が鳴り響く中、叫びながら捌けていく役者の姿に心底感動したり…。
そういう時、立ち上がりそうになる自分を抑えるのが大変です
泣きながら悔しがり、笑い過ぎて、うるさい!って怒られたり…。
自分の劇団の稽古で真似しよう。セリフの後に、あー、えー、おーなどノイズを入れればいいのかな。うーん、けど違うなぁ。こんな事を繰り返してましたね。
今回、一緒にやらせて頂くに当たり、いちびりのメンバーで話し合いました。万歳の人たちにとって、自分たちの存在が刺激になると信じて挑もう。お邪魔します。よろしくお願いしますではダメだと。そしてその結果、自分たちが一番たくさんのモノを頂いて帰る。盗人のようですが(笑)。万歳一座にとってプラスになるという意気込みを持って臨んでいます!

内藤 : 同じ一門。秋浜親方の下の高砂部屋みたいなもんですからね。この部屋が繁栄するように、というのが皆の願いです。いちびりのメンバーが客演で招かれるのではなく、万歳の芝居に貢献するんだという姿勢で来てくれているのは随所に感じています。劇団員の刺激にもなりますし、とても有意義だと思いますね。
阪上 : 初めて内藤さんの舞台に出たのは、2008年の万歳一座の公演「夏ざんしょ」でした。この時は訳が分からず時間が過ぎていったように思います。その2年後、ピッコロ劇団で「真田風雲録」をやった時は、自分の方法論のようなものを確立できたと自負していた時で、自信を持って稽古に臨んだのですが、全部ガラガラーっと音を立てて崩れたのを覚えています。自分は何者でも無かった、何も分かっていなかった。演劇って自分の思っていたようなものじゃなかったんだ。もう茫然自失です。内藤さんに自分の金庫を破られていたんですね(笑)。
本当に何も無くなって更地になってしまい、すがすがしい気持ちのいい敗北でした。敗北なんて、そんな恰好良いモノではありませんが(笑)。
それから、内藤さんの良いところはすべて盗もうと心に誓い、更地の状態から積み上げ直して10年経過。今回のチャンスを頂きました。
内藤 : 「デタラメカニズム」はAI(人工知能)の問題も絡めています。人間の仕事がAIに取って替わると言われている2045年問題がありますが、AIと違い、気まぐれなところや、やりかけてみて「何でこんな事をやっているのか? 」と思い、人生をやり直したくなるなんていうのは人間だけだと思います。
AIの要素を入れながら、人間の方がデタラメカニズムだが、だからこそ人間性というものが大切なんだといった事を遊んでみたいと思っています。
思いっきりデタラメなお芝居を劇団いちびり一家とやらかします。劇場にお越しください。